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1935年ブリヂストンスーパー
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1936年
ブリヂストン・トーナメント開催
莫大な投資と開発の努力によるゴルフボール国産化成功を契機に、PRを兼ねたゴルフトーナメントを開催。陳清水が優勝し賞金1,000円を獲得した。(川崎ゴルフコース)
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1937年ブリヂストン
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1938年
戦時下でのやむなき製造中止
1937年生産数量13,600ダースを達成。しかし、同年の日華事変勃発で日本国内は戦時体制を強め、翌1938年(昭和13年)ゴルフボールが贅沢品として禁制品の指定を受け、製造中止のやむなきにいたる。