ザ・レクスター

ザ・レクスター
ザ・レクスター
ザ・レクスター

概要

構造

糸巻き(バラタカバー)

発売

1992年

メーカー希望小売価格

800円

※発売当時の価格です

商品特徴

ブリヂストンスポーツ創立20周年を記念し、世界のトッププロの高度な要求に応える高性能糸巻きボール「ザ・レクスター」を発表。ボール要素のすべてを新開発し、頂点を目指す。開発に加わったニック・ファルドが当ボール使用により’92年度全英オープンを制覇する。

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BRIDGESTONE
GOLF BALL LIBRARY
- COLUMN -

ザ・レクスター

1990年前後、ブリヂストンスポーツは世界戦略を前面に打ち出し、それとともに「世界のトッププロが使えるボール」を旗印に開発に乗り出した。構造的には当時まだトッププロたちが絶対の信頼をおいていた糸巻きバラタカバーだった。そのために米国工場も立ち上げた。

ターゲットはニック・ファルドをはじめとした当事メジャーを制した世界のトッププロ達だった。(当初はニック・ファルドを含め2名の海外選手と契約)
開発スタッフはファルドの要求に応えるために、彼の表現を定量化し、それを設計に取り込むことを考えた。要求特性を評価し、設計に落とし込めるようなデータに焼きなおすという方法だ。
製造技術にも問題が浮かび上がった。従来の糸巻きボールと比べて、リキッドセンターを大きくしたために量産化が難しかったし、糸ゴムを巻く際の強さや張力が微妙に狂い、一定しない。これを解決するためにまず、テンションコントロール糸巻き機を開発した。

こうしたさざまな苦難を経て、世界一厳しい要求をするプレーヤーの感性に応える糸巻きバラタボール『THE REXTAR』が完成したのだが、その性能はファルドが1992年の全英オープン(ミュアフィールド)で2年ぶり3度目の優勝を飾ったことで証明された。ブリヂストンにとっては最初のメジャー制覇という記念すべきボールとなった。

一方国内ではこの年、アマ37冠の丸山茂樹が春季プロテストに合格。各メーカーが熾烈な争奪戦を繰り広げた結果、ブリヂストンが用具契約を結ぶことに成功。そして彼が選んだのも『THE REXTAR』だった。
ブリヂストンのクラブではこの頃、90年に発売された『j’sメタル』が圧倒的な人気を維持していた。またアイアンでは1988年の『ジャンボMTN・プロモデル』に続いて91年には、本格的なプロモデルとしては初のカーボンシャフト仕様『j’sアイアン』を発売。ドライバー、アイアン、そしてボールと、ツアーでブリヂストンのブランドが急速に勢いを増し始めた時代だ。

だが、この当時、スタッフたちが糸巻きボールにすでに限界を感じていたのも事実だ。ある意味で究極の糸巻きバラタカバーともいえる『THE REXTAR』の開発に成功したけれど、その一方で、「糸巻きはそろそろ終わりかなあ」という感触を持っていた。
この感触を深めたのは、「オレは将来10年間使えるボールをテストする」という、当時、その発言・言動がゴルフ界に非常に影響力があった、ある選手の一言だった。彼はこの頃すでに、糸巻きは一切テストしなかった。関心はもっぱら2ピースに集中。「2ピースはスピンがかからない」という当時の“定説”に対しても、「オレは技術で止められるから、そんなことは問題ではない」と気にしなかった。
これに意を強くしたスタッフは、2ピースへの自信をますます深めていく。ブリヂストンには幸い、高反発のコア技術があった。またちょうどその頃、カバー材として優れたアイオノマー樹脂が開発されていた。

ボールメーカーが糸巻きボールを持っていないと、取っかかりとして世界のトッププロと会話できない。こうしたことから、糸巻きの中の糸巻き『THE REXTAR』を開発したが、「高反発コアや新しいカバー素材生かせば、プロが使える2ピースがつくれるんじゃないか?」
こうして、プロ使用球開発の軸足は2ピースへと急速に移っていったのである。